ふと思う。

どーもゆーかです。
古文単語を覚えていて思う事、それは昔は現代よりも豊富な表現を持ち合わせている事です。例えばめでたしとえんなり。どちらも魅力的だ、と心が強く惹かれる心情を表していますが、それぞれ残りの意味を見ると微妙に違ってきます。現代語で受けとると同じ意味であるものも、古文だと多少ニュアンスが異なる。これは現代の物事の表現のが乏しくなったとしか思えません。これは最近日常生活でも伺えます。友人と買い物に行き、服等の商品を見ている時、かわいーと連呼しているあの状況です。他の表現はないのかと突っ込みをいれたくなる程の可愛いと言う言葉の乱用。心中では、大人っぽい可愛いさとか女らしい可愛いさとか、可愛いにも幅がある。しかしそれを上手く表現できない。勿論、艶やかで繊細な美しくさだねーとか言っても良いですが、それは日常での況してや買い物の時に使う言葉ではない。要するに私が言いたいのは、昔は一言で表現できたものも、今では何重にも形容詞を重ねて表現しなければ伝えきれなくなった事。何が豊富な表現を奪ったのでしょうか。




やっぱり私は8時間睡眠じゃなきゃだめだな(´Д`)特に休日は…今日は時々他界してました。
でもやっぱり凄い人を見ると焦るなぁー自分を見失いそうだわ…でも大学は物理やりたいんだよ